紅豚とは

紅豚とは沖縄県内にあります3箇所の契約農家「喜納農場」「宜野座畜産」「安次富畜産」だけで飼育されているブランド豚肉です。

喜納農場の2代目喜納憲政(ノリマサ)が35年以上に渡り研究を重ねた独自配合飼料を与えるとともに、沖縄の気候風土に合わせて管理した気温や湿度などで豚さんの過ごしやすい環境作りに力を入れています。また、紅豚生産農家では離乳後の子豚を床マットと換気扇が完備され、室内外を自由に行き来出来る「とんとんハウス」を導入して飼育しています。

美味しい飼料を食べて快適に育った豚さんたちは、豚肉特有の臭みがなく、ジューシーで柔らかい肉質と驚くほどさっぱりとした甘みのある脂身が特徴です。

紅豚ロゴ

紅豚物語

喜納農場は私(しのブー)のおじいちゃん喜納一雄(キナカズオ)が65年前に創業し、父の喜納憲政(ノリマサ)が後を継ぎ、そして、30年4月に私が3代目となった3代続く小さな農場です。
初代のオジーは無口でひたすら真っ直ぐに養豚と向き合うような人でした。父はというと、とにかく職人気質の研究肌。どうせ豚を育てるなら美味しいものを作らんと面白くないだろう。
ということで、ひたすら肉質や飼育方法を勉強し、豚に与える飼料の研究をやってきました。
例えば、 パン粉を飼料に混ぜると脂の質があがるぞ!となるとパンを一週間に6トン回収し、一つ一つ袋からだし、パン粉に挽いて、乾燥機で加熱した独自配合飼料をつくる。
また、肉質の向上とエコフィードを考え、ミルクをいれるぞ!となると、毎日ドラム缶30缶ぐらいの量を加熱し、1頭1頭に与えてみる。
さらに、もろみ酢粕に含まれるアミノ酸が品質の高い肉質を構成する!となると、もろみ粕を毎日(月換算で2トン)取りに行って独自配合の飼料を作る。

などなど、こんなことを40年、今でも続けています。


農場にて休憩中の若かりし父

そんな喜納農場が紅豚を生産することになったのは、偶然の出会いからでした。20年以上前、喜納農場ではとある銘柄豚のグループに属し飼育した豚を大手の食肉販売会社に扱ってもらっていました。
肉質の向上を研究しながら毎日必死に飼育に励んでいたのですが、その銘柄豚の消費量が生産量を上回っていたり、全体の品質の低下、良い豚を育てても中間に入る業者ばかりが儲かる販売の仕組みへの不安に苛まれていました。

また、質の良い豚肉を追及していく自分のスタイルを通すには既存の流通体系では難しいと父ノリマサはとても悩んでいたそうです。
その時に偶然出会ってお酒を飲む仲となった友人、桃原清一郎さんからの「喜納さん、こんなに美味しいお肉は守らないと!農家が安心して生産できないなんておかしい。
ブランド化してしっかり世に出して食べてもらわないと!」という声をきっかけに、沖縄電力のベンチャー企業制度を活用して生産から加工販売まで一貫して行う「株式会社がんじゅう」という会社を平成15年に設立しました。喜納農場と農家の仲間の宜野座畜産、安次富畜産の3農家が紅豚生産専門農家、それを専門で販売するのが株式会社がんじゅうです。

がんじゅうの社長は桃原清一郎となりました。


平成15年がんじゅう設立。左上から安次富・喜納・島袋・桃原


紅豚の裏話

裏話として紅豚・紅あぐーを販売する株式会社がんじゅうの桃原社長のお話しをしたいと思います。

桃原社長はもともともとPHSの販売員だったのですが、とあるご縁で喜納家に飲みにくるようになりました。
「はじめて喜納さんちの豚肉を食べたときあまりの美味しさに感動した!飲みながら喜納さんの養豚にかける想いを聞くとさらに感動した。農家の労が報われない食肉事業の現状を知りこのおじさん達や豚のために自分にできることはないかな」と真剣に考えるようになったそうです。

そこから、沖縄電力の社内ベンチャーMOVE2000(沖縄電力社員から新規事業のアイディアを募集し、その中から有望なアイディアを事業化する制度)に平成14年度応募したのですが、周りには「なんで豚よ?」「それって事業になるの?」と大反対されたそうです。
その声に対して「この豚なら絶対に大丈夫だから信じてほしい」と説得し続けて1年、想いが成就して株式会社がんじゅうが読谷村に誕生しました。

「がんじゅう」とは沖縄の方言で「頑丈」とか「健康」という意味です。
安全で美味しい紅豚を食べて、がんじゅうに過ごしてほしいという願いを込めたそうです。

ブランド名の「紅豚」という名前は、飼料の中に紅イモの皮が含まれていること、読谷村が紅芋の産地ということから名付けられました。
また、生産から販売まで一貫した管理体制を目指し、豚肉では国内でまだ行われたことのなかった「トレーサビリティシステム」を導入し、農場から食卓までのルートを明確にすることで、お客様からの声を、農家まで直接フィードバックすることができ、農家も会社も良い緊張感を持ちながら、責任を持って商品を提供していける体制を作りました。

豚肉のブランド化、今では当たり前となりましたが、当時は浸透していなかったため、桃原社長が営業に行くと門前払いになることも度々あり、「良い商品」がありながら、話も聞いてもらえない状態が数ヶ月も続いたそうです。
「もう辞めようかな・・・」と、心が折れそうな日々が続いたとのことでした、そんな状況を見かねた知り合いの紹介で、「まい泉」の部長さんとお会いするお約束がとれた桃原社長が会社をお伺いしたところ、なんと、創業者であり、当時会長を務めて いた小出前会長自らが対応してくださったそうです。桃原社長はこれがラストチャンスだと思い、農家の思いや、これまでの経緯、思いの丈を涙ながらに二時間必死で話したといいます。
そして、話終えた桃原社長に小出会長が一言、「では、そのお肉をウチで扱うにはどうしたらいいですか」と声をかけてくださり、「まい泉」で実際に取り扱ってもらうことになりました。
当時、桃原社長が家に「まい泉のカツサンド」を片手に嬉しそうに報告しにいらしていたのを記憶しています。

この出会いがターニングポイントになり、あのとんかつの老舗「まい泉」でも取り扱っている「紅豚」ということで、「三越」や各種デパート、飲食店でもお取扱いしていただけるようになりました。


設立に関する取材を受けるとある日の桃原社長